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くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

面白いことをやっていただけだ。お金のためにやったわけじゃない。

成功した人はこう言う。面白いことを追求しただけだ。金は勝手についてきただけだ。以前NHKのプロフェッショナルで取り上げられた京都の割烹ではカウンター14席に予約の客しか相手にしないという。それどころか客は回転せず着席、料理を提供、お見送りでその日の営業はお終いだ。そこに妥協はなく、その14人に全身全霊で料理を提供していく。すごくかっこいい姿勢だ。さすがプロフェッショナルである。

一方で僕がバイトをかつてしていた居酒屋にはそんなこだわりはなかった。別に経営が危なかったわけではないけど、大繁盛ではなかったように思う。少なくともプロフェッショナルではなかった。では居酒屋にこだわりを導入すればどうなるんだろう。自分の信念を追求した大衆居酒屋。確かに一度見てみたいけど売れないんじゃないかなと思う。もちろん何にこだわるかだとは思うけど。

言いたいことは「妥協しないが許されるのは、実は一部しかないんじゃないか」ということだ。面白いことを追求できる人は幸せだけど、全員が追求できるとは思えない。例えば何事も思考せずにただひたすら作業しなくちゃいけない人も必要だ。大学時代のバイトのほとんどは思考をやめる時間だった。こういう人材も必要。

プロフェッショナルは幸せだ、みたいな雰囲気でここまで書いてきたが、案外そうでもない。妥協をしないことは戦うことだ。傷つくことだってある。責任を問われるし、何より悩まなくちゃいけない。苦しんで失敗して、でも諦めきれないから妥協せずに追い求めて辿り着くところ。それが他人に評価されて初めて成功したことになる。成功を想像できずに心が折れる人なんて世の中たくさんいるし、最初からこんな苦しい思いしなけりゃ良かったと叫びたい気持ちはこの世に溢れているだろう。プロの世界は残酷である。

ただやはり自分の面白いことが生きがいであり、それを世界が評価することは間違いなく最高の幸せだ。人には絶対に勝負するタイミングがある。その時に成功に近づけるか。妥協を許さず、信念を追求できるか。僕は今矢面に立っていない。最前列で戦っていない今だからこそ、勝負に加わる準備をしなくちゃいけない。何が僕の信念、そして面白いことなのか。その思考、そのために手足を動かすこと。これらが一番の準備になると僕は信じている。

妥協をしなくていいための条件。それを考えることは面白いへの第一歩となる。