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くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

思考

考えること。

いまや暗記することは果たして必要なのか。僕はあんまり要らないと思う。いま知識はGoogleに聞けばなんでも答えてくれる。もちろん勉強というのは本当に意味があると思う。おばかな中学生が「先生どうして勉強しなくちゃいけないんですか!?」と言うのは本当に意味のない質問だと思う。

勉強には

・自分のものごとの判断基準を作る基礎となる

・歴史の勉強(歴史はそれこそ教養だし、偉人の考え方、人類の失敗は自分の考えに吸収できる)

・自分の理解できるかできないかの瀬戸際を知る、そしてそこで遊ぶ

以上のメリットがあるのではないかくらいが個人的な見解。異論は認めまくる。

もちろん外国語はまず暗記だとは思うけどね。単語やルールがわからないと何も始まらないし。

 

さて暗記である。

物事を覚えるのはやり方だとか、その人の能力だとかが関係しているけど、要は根気だ。継続こそ暗記の基本だ。どの程度努力できる人間かを測るツールとしては暗記は最高だと思う。僕は努力(特に面白くないなと感じる方面)の継続が苦手だから、暗記が人を測るツールだと非常に苦しい。

でも勉強の本質は暗記ではなくて「思考」だと思う。わからないと思うところで実際に手を動かしてわかるに進むこと。そこでグレーなのに無理に進めばどこかで必ず転ぶ。「わからない」で実際にいくつも例を作ったり、少し簡易化するような試行錯誤は非常に楽しいし、何より「なるほど!」は気持ちいい。これらの経験は僕の中では机の上の勉強だけでなく、色んな活動に活きている。

こういうことはやはり万人受けしないのだろうか。そもそも落ちこぼれた人間は努力や疑問を抱くことをしない。それは僕が堕落した瞬間思った。僕も今落ちこぼれていて、「わからない」に立ち向かうことは本当に億劫に感じる。中学生・高校生ならなおさらだ。入学後にできないと思った人間はそこから急に成り上がるのは難しいし、そのレベル帯で満足してしまうから。赤点を取った人間は赤点回避で満足してしまう現象を見ればわかる。こうなってしまうとなかなか這い出すことは難しい。運動と違って、思考に至るのに最も近い活動はやはり勉強だから、それを怠れば人生における思考の楽しさをわかれない。もちろん運動で思考できるほど、結果が出せるなら何の問題もない。本当に悩むレベルに達するためには、ある程度のレベルが必要だ。なぜなら言われたことを根性や気合で押し切れるレベルには思考は存在しないから。きついから考える。そこには「思考」が存在する。スポーツ選手の中には勉強ができない人もいるが、彼らの多くは人間的に魅力がある。だから尊敬されるし、真似したいと思う部分がある。それは「思考」に至れているから。ただ多くの人間が思考に至る可能性が高いのは、やはり勉強という場が最も可能性が高いと僕は考えている。

「思考」。そこに至るにはわからない、とわかるを区別しなきゃいけない。赤点を例に出したが、本当に苦しんでそのレベルにいるなら何の問題もないと思う。ただ思考を放棄してはいけないとのこと。そして思考を強要してもいけない。そこに至る教育を作るのは本当に難しいとは思うけど、そこを妥協してはいけないんだろう。国規模では難しいのかもしれないけど、学校単位や塾を通してそんな考えを提供しているところはないのかな。教育制度だとかはどうでもよくて、どんな能力であれ「思考」を面白いと思わせること。それを刺激することが一番の成長に伸びるんじゃないだろうか。

僕の高校の恩師はわからないことは面白いことだと教えてくれた。思考を促すこと。それが人の上に立つ人間の責務だ。