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くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

許し

僕は腹が立つと、必ずどうして自分は怒っているんだろう、と考えるようにしている。それは人に対するマイナスな感情をむき出しにしていい思いをしたことはないし、実は自分のことを反省するチャンスでもあると僕は捉えているから。考え直してみると単なる自分の嫉妬心、あるいは自分の認識が甘い、なんてことはいっぱいある。自分が人の前に立つときは特に気を付ける。中心人物が感情的になるとみんなのびのびできないと反面教師さんから学んだから。基本的にこの考え方は僕の中では大事な考え方だ。

 

さてこういう考え方をしていると、なかなか得をすることもある。人に対して怒るのではなくまず理解しようというアプローチになるし、言うべきことを伝えるのは叱ることになる。一度反芻しているから、相手が納得できるように話せる。また自分の幼い感情を他人にぶつけることも回避できる。僕は幼いときは本当に感情むき出しの動物だったから、これで少し人間に近づけた。

一方で損していることもあるんだろうな、と思う。どうして怒っているんだろうと考えることは全部自分の原因に返ってくる。

例えば「しんどい、つらい」とさんざん相談されたとき。僕は「お前の悩みなんて小さなものだろ」と思ってしまうことがある。でも悩みは量が問題ではなく、その人のキャパシティの何割を占めるのかが問題だと考えるから、それは飲み込める。相手のキャパシティは見えないし、比べるものでもない。また「お前の悩みは小さいだろう、それに比べて俺はこんなことで…」と話したい自分にも気づく。なるほど、そういう考えはよくない。逆のことをされれば誰だって腹が立つだろう。相手は相手なりに苦しんでいるのだから、聞いてやるべきだ。だからしっかり聞いてやる。理解しようと努める。それで救われるかどうかはわからないけど、何度も相談してくるあたり信頼はされてるんだなと思う。

このように考えるから僕は大体の事象の原因が自分に返ってくる。そして自分を責めてしまう。これは自分を成長させてくれたけど、自分を置き去りにしているような気もする。自分を許せていないように思う。僕を一番責めているのは多分僕自身だ。

責めなきゃいいだけだ。考えることをやめればいいだけだ。だけどできない。どうすれば考えることをやめられるかも実は知らないのかもしれない。僕はどうしても自分のことを許せない。