Design My Life

くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

支えたい

先日のマネージャーの記事は一日経って考えてみれば妬みでしかないなと思いましたが、それでもやっぱりもやもやがぬぐえない。なぜか。それは僕は人を支える仕事をしたことがないから。自分が中心か横一列に並ぶ状況でしか経験したことがないから。陰ながら支える、みたいなことを本当にしたことがない。だから理解できない。それだけのことだった。

 

私はプレイできないから、と彼女は言う。彼女の頑張りは一番知っているから、それを認めたい。しかし他のマネージャーをする友人が「調整力」や「人を支える喜び」、「主体的に動く」などを就活で話しているそうで、それを妬んでしまっただけなのだ。選手にとって楽しい程度の練習なら何の意味もない。できるかできないかの境界をどれだけ見れるか。毎日それができるわけではないけど、それを攻めないと成長はない。そこのせめぎ合いは本当に苦しくて、僕はいつしか試合以外は楽しめなくなっていた。いろんなことも学べたし、競技自体が面白いことはわかっているけれど、本当に自分を苦しめるのがつらくて僕はいま立ち止まっている。

一方でマネージャーはそんなことをしない。彼女は僕が苦しんでいるのをわかって、言ってくれただけなのだと思う。同じ線で、同じ目標に向かって頑張っている。そこに優劣、大小はない。ここまでは理屈も、感情的にも納得できる。でもやっぱりずるくないかなーと。思ってしまう。

ひとを支える。大事だし、必要とされるものだ。だけど、どこかで思う。ちょっとずるくないかな。こう思うのは僕はその経験がないだけなのだろうか。このもやもやどうにかならないだろうか。別に否定したいわけじゃない。批判したいわけでもない。ただいいなあ、お得だよなと思ってしまうだけで、そんなことを考えてしまう自分が醜くて仕方がない。