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くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

怒らない、見返りを求めない

友人の女性とずっと連絡を取り続けていたものの、最近急に冷たくなった。そっけなくなった。特に思い当たる節はない。俺も嫌われたものだなあと考えて虚しくなっていたけど、よく考えれば彼女に彼氏ができたか、忙しくて面倒かのどちらかだと気づいた。まあ僕はその程度だったようだ。

その女の子とは高校からの付き合いで、お互い好きだとかそういうのはない。そもそも遠く離れているから好きになりようがない。向こうは一切知らないけど僕は全く興味なくて、ただただ友人として大好きなだけだ。僕にはない観点を持っていてけっこうおもしろい。またお互いの悪いところをずけずけと言い合える仲なのもすごく楽ちんだ。そういう意味でいい友人として見ていたのに、こう切り捨てられると少し悲しく感じる。

その子にはいろんな相談を受けた。就活のこと、自分の考えのこと。もしかしたら自己満足かもしれないけれど、僕の考えを採用して就活もうまくいった面もあるし、力にはなっていると確信している。そういう人を切り捨てるのってどうよ、僕ならしないな、と考えているけれど、見返りを求めるのって浅ましいよねと思って考えを停止した。

 

誰かに何かをすること。別にそれは自分の意志だ。感謝されたくてやる訳じゃない。そして手伝うことや話を聞くことは自分の成長の糧にもなる。意見や存在を知覚することはある意味で勉強だ。手伝いに対して見返りを求めるのはバカバカしくて浅ましい。ましてやそれは口に出してはいけない。僕の好意でやったことだ。彼女にはいろんな視点を学ばせてもらった。そこは本当に感謝してるしそのお礼だと思うしかない。

理性ではそう判断できる。でも直観は違うだろと叫んでいる。彼氏ができたことに興味はないけれど、それならそうで連絡を控えたいと言ってくるのが筋だろう。「ふーんよかったね」という返事がどれほど不愉快にするのかわからないはずがない。どうしてこう不愉快な気持ちを感じないといけないのだ。僕を使いたいときだけ使って、あとは放り投げるような扱いをよくできるなと嘲笑したい気持ちが生まれてしまった。自重自重。

 

まあこういうのも経験。すこし怒りを感じたのも、結局は自分の好意の押し付けみたいなもの。見返りを求めるのもそれは自分の行為への過信・驕り。進んでやったことに見返りは発生しない。相手から感謝されたくてやっているわけではないのだから。でも僕はああはなりたくないから、人への敬意や感謝をもって接する。それだけのこと。