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くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

助けて

つらいときは誰だってある。そんなとき、助けを求められるだろうか。甘えられるだろうか。前に立つ人ほど甘えたり、頼るのが下手だと思う。あまりそういう経験がないし、ちょっと恥ずかしいから。でも大人になればなるほど、自分から助けを求めないと誰も助けてくれない。助けてくれないというか、助けられない。苦しんでいるのがわからないから。でもなかなか言えないものだ。嫌だと思っていても、我慢できる無駄な強さがあるから。だけど子供の時はあんなに簡単に言えたことが、どんどん難しくなっていくのは皮肉な話だ。

世の中はけっこうなハードワークを課してくる。時間的なきつさ。精神的なきつさ。そういうことに耐えられる人間を「優秀」な人間と扱うのが最近の日本らしい。確かにきついことを妥協せずに貫けば競争相手が少ない状況が生まれるから、結果や評価は得やすくなる。つまり優秀だ。ただ妥協しないことを強要するのはいわゆる拷問だ。だけどやってみなくてはわからない面白さも存在するから、この問題はどうとも言えない。乗り越えて見える面白さは確かに存在する。だから自分がハードワークをしてでも掴みたいものがあるとき、やっぱりきついことは折り合いをつけて我慢して進まなくてはいけない。

そんなとき「助けて」と言ってみよう。助けてだと本当に危機的状況な気もするから、「ちょっと聞いてよ」で十分だ。一言で一気に楽になる。ああこんなに自分は重く考えていたんだなと呆れてしまう。この感覚は本当に面白い。

逆にすごく真面目な人がいたら「もっと頼ってほしい」と言ってみよう。真面目で、模範とされる人間はどこで息抜きしていいのかわかっていないこともある。その人にかけた一声で、実際に愚痴を言うかどうかは別としてかなり救われるはずだ。

友人に完璧人間がいる。今まで出会った中で一番有能な人で、彼女がミスをしても誰も非難しないのではないかと思うくらい完璧だ。そんな人でもつらかったり、甘えたいときはあるみたいだ。同じレベルで切磋琢磨することはできていないけど、力になれるなら僕のことも頼ってほしいと申し出た。すると意外にも普通のことをぽろぽろとこぼし始めた。どれだけ賢くて、有能であったとしても中身は普通の人間だったんだなと驚いた。それを通して思ったことが上の内容だ。彼女のことを本当に尊敬しているから僕は支えていきたい。