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くず人間の更生記録(にしていきたい)。人間初心者の個人的見解

アドバイス

僕にはある親友がいる。

彼女は僕にやたら相談してくる。彼女は僕になんでも聞いてくる。こんな人間でも頼ってくれるのかと驚く。それはさておきその期待に応えたいから、自分なりにきっちりと考えて答えるようにしている。彼女は課題にぶつかったとき、思い付きに頼ることが多い。けっこうな天才肌だから、割とそれでスイスイ生きている。本人は自分を無能と言うが、あれはバカを装った天才だ。一方僕は頭が固くバカだからちゃんと下調べをしないと何もできないし、きっちり理屈でその情報を繋いでいかないと何も思い浮かばない。だからいつも僕は彼女にまず調べろ、頭よりまず手足を動かせと言う。結局僕から見ると見当外れな方向にすっ飛んでいくから、理屈のところまで口出ししてしまうこともある。そうした結果、僕とほぼ同じ考えに至るし、それに満足してしまうようだ。

ある日のこと。何度も聞いてくるものだから、僕と同じ考え方、思考の手順で自分でやってみればいいじゃないかと言った。するとできないと言われた。唖然とした。虚しくなった。どうやら僕はただの解答マシーンと思われていたようだ。

さて、人に助言をするのは非常に難しい。有名な格言として「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」がある。僕は上の例だと魚の大放出をしていたわけだ。自分としては「釣り方を実演して、段階に分けて、僕ならこうする」と明示したつもりだったけれど、人に助言するのはやはり難しい。

 

また違う話だが、助言に沿った行動を取ってくれなくて、悲しくなることもある。例の彼女だが、相談に応えたところ「時間がない」と一蹴されたことがある。僕は面倒でねちっこい人間なので、問題を掘り下げることが多い。僕の答えは問題に対する応急処置ではなかったから適合しなかったのだと思う。だけど少し虚しさを感じた。

そういうことに関して、かつてThomas Jeffersonはこう記した。

All this, my friend is offered, merely for your consideration and judgement, without presuming to anticipate what you alone are qualified to decide for yourself.

助言は思考や判断に提供しただけで、行動などを期待してはいない

 

助言を押し付けにしてはいけない。提案するだけでそれ以上の興味を抱かない方が良い。ただ思考や判断を促すための助言をすること。これは自分の心の持ち様だから、どうとでも出来るけれど、自分を戒めておかないとなかなか僕には難しい。

 

思考を促すということ。その人のことを想う作業が不可欠だ(あくまで僕には)。しかし思い入れが強くなるほど、自分の考える道筋を辿って欲しいという欲が出てくる。だから多くの親は自分が幼少時代に習っておきたかった、あるいは習っておいて良かったことを子供にやらせるんじゃないだろうか。そうではなくて、単に思考を促す深い質問を投げかけること。それは何だろうなと考えながら、懐かしい恩師を思い出した。あの先生はなかなか追い越せないなと強く思う。

死にたいと思うこと

[これから書くことは完全に僕の個人的見解だ。自死で亡くなった方やその家族の方には失礼だったり、配慮が足りないことも含むかもしれない。もし気分を害された方がいるとしたら、心から謝罪する。]

 

死にてえ

そう思うことはちょこちょこある。仕方がない。自分は迷惑をかけるし、自分のつまらない見栄のために嘘もつく。いろいろがんじがらめになってふと思う。「死にたいなあ」。全部自分のせいだし、甘ちゃんだとは思うけど。本当に死のうとはたぶん思っていない。実際に死が目の前に来たらおそらくじたばたする。車が近くを通れば怖いと感じるし、電車に飛び込みたいななんて思わないから。電車がホームを通過するときに、これにぶつかれば死ぬのね、くらいは感じるけれど。死にてえ、はふと思いつくだけである。

そんなときGoogleで「死にたい」で検索すると急に「このサイトにたどり着いてくれてありがとう」と慰めや同情を言ってくる。本当にどうしようもなくて死にたい、生きていてもどうしようもない、という人のことを100%理解することは僕にはできない。そういう追い詰められた人には、あの慰めは心の支えになるのかもしれない。だけど僕は慰められてもあまり心は動かない。僕は自分のしょうもない行いをカバーすることができなくて、その傷跡を見るたびにふと死にたいなと思うだけだから。どちらかというと大声で笑ってほしい。そして大した事ねえよ、お前真面目に考えすぎだろ、と背中をたたいてほしいのだ。

先日亡くなった電通の方のように本当に追い詰められている人の気持ちを理解することはできないし、そういう人と自分を同列に扱うのは違うと思う。実際に亡くなった方は本当に迷いに迷って、でも死ぬことしか見出せなくて、つらい思いを一人で抱え込んで、あの世に逝っていくのかもしれない。でも自殺を悩む人の多くは僕のように構ってほしかったり、誰にも悩みを言えなくて、勝手に追い詰められて思い付きで死ぬんだろうなと思う。僕には自殺するほど嫌なことはないけど、車が自分のもとに突っ込んできてくれないかな、とかはすごく思うから。その程度の人はおそらく勝手につらいモードに入って、自分の中で「つらい・死にたい」を発酵させているのがほとんどだと思う。

どうしたらそのループから逃れられるのか。頼れば話を聞いてくれる人は身近にいるけれど、つまらないプライドや恥ずかしさから相談できない、なんて人はある程度いるんじゃないだろうか。そういう人達同士で傷をなめ合うビジネスはもしかしたら成立するかもしれない。僕ならそんな人同士で酒を飲んでみたいなと思うから。他人のしょうもない理由を笑って、自分のしょうもなさを笑ってもらって、明日もまあ生きてみるか、なんて言いながら帰るのはきっと楽しい。

だけどもっと楽しいだろうなと思うのは一度人生をリセットすることだと思う。死にたいなと思うまでの反省点を改善して、もう一度やり直すこと。「いっそ小さく死ねばいい」のだ。別に自分のプライドに負けてもいいじゃない。他人の嫌がらせに負けてもいいじゃん。そもそもそんな気にするかどうかで存在が変わるようなものを意識して死ぬのは本当にバカバカしい。いっそ海外に飛んで第2の人生を送ればいいと思う。全てのつながりを断ち切って、新たにやり直す。そういうのもアリだと思ったりするんだよね。

どうしてみんな律儀に死んでいくのか。それはみんな本当に真面目で、人に迷惑をかけたくなくて、心配をかけるのが申し訳なくて、そして海外逃亡なんて多くの人はしないことをするのは怖いから。死ぬなと引き止めるのは彼ら・彼女らにとって拷問だから、新しい人生のやり直し方を提供しないと自殺は止められない。「やり直しは逃げ」だとしても、死んでしまえばそこには何もない。生き地獄から逃げる先としてあの世ではなく、もう一つの世界が欲しい。僕自身人生のやり直し方を提供してもらいたいし、逆に提供してみたいなとも思う。

目標

目標を持つこと。それは一番の僕のエネルギーだ。

目標が面白ければ面白いほど、別に作業の時間は苦痛ではなく楽しい時間になる。作業が行き詰まっても、悩んでいる時間は新しいおもちゃを考えているようなわくわく感で満たされる。試行錯誤を経て目標にたどり着いたときは、本当に気持ち良く感じる。子供の時からその感覚はほとんど変わっていないんじゃないかな。

でも逆に自分のやっている作業に何かの意味を持たせないと、本当にやる気を失ってしまう。それはエネルギーを与えなければ最も安定な状態に落ち着く原子と価電子の関係に近いと思う。目的を与えないと、一番楽ができる方向に逃げてしまう。

 

何かの作業をやらなくちゃいけないから、という理由だけできっちりできる人は本当にすごいと思う。僕はそれができない。できるにはできるけど、そういうことに自分の時間・エネルギーを費やすことはかなりの活性化エネルギーを必要とするから、なかなか続かない。

自分の周りにはきっちりやるべきことをやれる人ばかりだから、単純に自分がダメな人間なんだろうなと思うけど。

 

 

昨日、新しい目標を作った。どれだけのめりこめるかわからないけど、自分なりにやってみよう。

 

 

 

おもしろいこと

新しいことを始めること。

普段していないことを自分の習慣にすることは難しい。

それはたかがブログでさえそうなのだから、

もっとハードルが高い、あるいは労力を伴う作業だと

本当に苦しくなる。

化学反応における活性化エネルギーみたいなものだ。

だから他人の人生の触媒のような存在になってみたいなと、思うこともある。

一歩目を一緒に踏み出そうと言える人間。

人に影響を及ぼす人間はかっこよくないかな。

 

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さて話は変わる。

20代の結婚願望が低下しているそうだ。

理由は経済的理由が最も多い回答となったらしい。

本当に結婚すると金がかかるのだろうか。

僕は未婚だし、実体験ではないけれど

2人で暮らす方が安く生活できるのは当然じゃないかと思う。

 

家賃、食費、電気や水道代。

間違いなく同居した方が安くなるはずだ。

一方が離職するから苦しくなる。

どうして結婚したらどちらかが職を退かないといけないんだろう。

社会からの評価を求めるのであれば、専業主婦・主夫だと

承認欲求は満たされない。

僕は男だけど、もし退職してねと妻から言われたとしたら

たまったもんではない。

(結婚できれば、の話だが!!)

 

問題は子供を育てるには間違いなくフルタイムでは働けないことだ。

出産はもちろん、幼児の間は休暇が必要だと思う。

それ以降は問題ない。

問題ないというより、それ以降は必要なことではなくて

その親がどう考えるかにゆだねられるんじゃないかな、ということ。

僕は鍵っ子だったけど、寂しいとはあまり思わなかったし。

親が子供をどう育てたいか、という問題だから

そこは絶対に職を離れなければならない理由はない。

 

さて、絶対に休暇を取る必要がある部分について少し考える。

東京都で問題の保育園の不足等の問題だ。

ベビーシッターサービスや保育園等の整備が追い付かないことは

「結婚→子供」や「結婚→どちらかが退職」

みたいな幻想がいまだに常識として扱われていることも1つの要因だとと思う。

じゃなかったら、需要があるのにどうして動かないのと僕は思う。

(そんな単純な話ではなくて、様々な問題が絡み合っているのだとは思うけれど。

 若者の思い付きなのでそこらへんはお許しください)

不倫騒動において女性だけが異様に批判されがちなのも

幻想が常識として残っているからだ。

【不合理な幻想を壊して、新たな常識を作ろう】

という強い意志を持った企業、あるいは政治が出てこないと

いつまでたっても面白くない世の中なんだろうなと考えてしまう。

(余談だがこういう新しいことを政治、あるいは公側が行うことは僕は嫌いである)

 

第三者、あるいは素人の目線から見ればおかしいなと感じること。

それを突き詰めて考えていくこと。

もちろん当該者や玄人から批判はされるだろうけど、

それを批判ではなく指摘として受け止めてめげないこと。

そうして目指した先には「面白い」がたっぷり詰まっているのだと思う。

そして「おかしい」と思えるのは人間における素人・未熟者である

僕達若者の役目だから、僕達は批判や失敗を極度に怖がらなくていいと思う。

僕らの目線からおかしいと思うことは、意外といっぱい転がっているし

面白いことはきっとみんなの身近にある。

 

 

 

 

ここ数日

木曜

study 3h

work out 1h

 

金曜

study 1.5h

 

今日

work out 6h

体調が崩れ気味。

野菜が高くて適当な食生活をしていたのが祟ったのかも。

反省を含め、おくらとししとうとほうれん草をいっぱい食べた。

僕はどうもおつまみしか作れないようだ。

酒をがっつり飲みたいが、ビール1本で我慢。

 

 

さてふと思ったこと。

友人と話題に上がったことだが、米大統領選についてのことだ。

ドナルド・トランプ氏はやっぱり否定的な目で見られるようだが、

僕はそもそも判断できる状況にないんじゃないかと思っている。

彼は確かに過激で扇動的な発言が目立つ。

しかしそれだけだったら、共和党の大統領候補になることはできないと思うし、

何か受け入れられる理由があるはず。

どうも日本のメディアはそれを明確に報道しないようだけど。

だから情報が足りなくて判断するに足りないと思う。

 

さて、個人的に思うに、同氏が支持されるのは

当然のことをはっきりと言っているからだと思う。

メキシコとの「壁」だって、不法移民を否定する気持ちは

USを愛するpatriotなら当然疑問に思う。

日本との関係性だって米側から見れば疑問に思うのも当たり前だと思う。

彼は言われてみれば当然感じる「怒り」や「疑問」を

大声で宣言しているのではないか、というのが僕の考えだ。

だから彼の発言の過激さ以上に支持されるのではないかと思う。

 

発言の方向性は僕は正しいと思うし、追及すべき課題だと思う。

ただそういった方針で選挙を勝ち抜いた人間を僕達日本人は一人思いつくのじゃないだろうか。そう、あの結果的に無意味だった政権交代が起こったときだ。

さすがにあのときの日本ほど停滞することはアメリカはないと信じたいが、

トランプ氏の発言の「思いつき」感はどうもあの人を思い出すので怖い。

 

ま、本心としてはどっちにしても大した違いは生まれないんじゃないかな

と思っているんだけどね。

 

じゃ。

 

はじめに

皆様、はじめまして。

おそらく僕以外に見る人はいないのでしょうが、一応誰の目にも触れられるものですから、ブログの趣旨をまとめます。

 

このブログは人間として醜く、しょうもなさの塊である私の考えや思い付きを記していくために始めました。僕はダメな人間だ。だけど面白いことをしたい。そのために自分のダメなことをしっかり知って、そして修正しなきゃいけない。自分を知るためにはちゃんと考えて、そして文字にすることが個人的に大事だ。そう思うからブログを始めようかと考えました。

ちょこちょこ生活も記して、そして改善していこうと思います。友人や尊敬する人に追いつきたい。そして僕のユニークな部分をしっかり表現して、共有したい。その日を目指して、頑張りたいと思います。おそらく頑張ろうと思っては立ち上がれず、といったことが続くのは目に見えるのですが、それでも自分の目標はしっかりと堅持して、日々を生きていきたいと思っています。

 

なお、すべて思い付きで書いているので、本当に駄文です。また誰かを傷つけることは絶対にしたくないのですが、意図せず傷つけてしまうかもしれません。そのようなことは本当に避けたいことですが、もし不快に思う方がいたら本当に申し訳ありません。